錦織について

錦の美ー龍村光峯の織物美術

錦織は、少なくとも1200年以上前に中国から日本に伝わった高機(たかばた)という機を用いて手織されてきた、多彩で精緻で豪華絢爛な絹の紋織物です。「錦」という字は、その値が金に等しいゆえに「金」と「帛」(絹織物)の文字を並べて作られたといいます。錦の御旗、故郷に錦を飾る、錦秋など、昔から「錦」という言葉は、美しいものを形容するときに使われてきました。「錦」は絹織物の最高峰の芸術品であり、世界的にも稀少な存在です。歴史的に、日本人にとっては憧れの対象であり、日本の美として世界に誇りうるものなのです。

「錦」は練達の職人たちの技を集め、数ある工程を経て、丹念に時間を惜しまず創り出されます。龍村光峯の仕事は、職人たちをまとめあげ、オーケストラの指揮者が音楽家たちに接するように、一つの曲を完成させるのと似ています。黄金のごとく輝く絹糸は、一つ一つ音となり、やがて調和のとれた、色鮮やかで煌びやかな「錦」へと昇華するのです。その多彩な色合い、千変万化する絹の絶妙な風合いは、幾千年もの間培われ、いつの時代でも色褪せることのない芸術品です。龍村光峯の工房は、この伝統と技を守りつつ、「錦の美」を追い求め、また超えるべく、日本の芸術としての織物を制作し続けています。

光の織物

織物を平面としてではなく立体として三次元で考えるということがあります。錦の織物は組織が多重になっていて、立体的であることが大きな特徴のひとつです。また、絹糸は、半透明のガラス棒のような形状をしており、その断面はやや丸みを帯びた三角形で、プリズムのような構造になっています。このことを比喩的に「絹のプリズム」と表現しています。絹糸はこの構造によって光を透過・反射し、ダイヤモンドのように複雑な輝きを発するのです。そうした絹糸がもつ仕組み、その性質を作品に活かし、さらに織物を三次元の世界としてとらえることにより、錦の織物は光によって千変万化し、「光の織物」となるのです。

質感の芸術

織物の世界でもっとも重要視されることのひとつに「風合」があります。それぞれの織物の視覚的触覚的な質感のことですが、この風合は、織り手によって微妙に異なります。すぐれた織り手なら機音がリズミカルで軽やかであり、聞いていて心地よく、織りあがった織物はむっくりした何ともいえない風合になるのです。質感こそ織物芸術の真骨頂だといえるかもしれません。

美と品格

錦の織物を制作する上で、すべての作品について「品格」を持つということを心がけています。

言葉でいうのは簡単ですが、実際に作品をつくろうとすると高い芸術的完成度が要求されます。形については線一ミリ、点一点もおろそかにしない厳しい製作態度で臨まなければなりませんし、色については、美しい「色彩の交響楽」を奏でられなければなりません。そうした姿勢によって「錦の美」が生まれ出るものだと信じています。

NISHIKI

英語やフランス語には広義の錦にあたる言葉はなく、外国語でも“NISHIKI”と呼びます。和英辞典で「錦」を引くと、”brocade”という語が出てきますが、これも概念的には異なっています。「世界でもっとも美しい織物」といわれる錦織の世界の広大無辺さとその魅力をより多くの方々に触れていただき、”NISHIKI”が世界共通語として認識されるよう願っています。

錦が生み出されるまで

錦織は先染紋織物(さきぞめもんおりもの)といって織物の設計図にあたる紋意匠図を制作し、あらかじめ糸を必要な色に染め、機に経糸を張り、これに緯糸を組み合わせていくことで文様を織り出していきます。高度に専門分業化された世界で、糸から織り上がって作品になるまでに70人以上の職人の手を経ることになります。後述の工程は大きく分けた場合です。

図案(ずあん)

図案家が絵を描く場合、古典の文様を活用する場合、画家の作品を使用する場合、時にはラフスケッチから制作することもある。

紋意匠図(もんいしょうず)

織物設計書に基づいて、製織の装置や技術、糸の性質、色彩などを考え、意匠紙(方眼紙)に図案を見ながらどの場所にどの色で織るかを升目一点ごとに塗り分け、さらにどういう組織で織るかなどの指示を書き込んでいく。織物の設計図にあたり、最終的に形などを決定するので、最も重要な織物の工程である。

意匠紙:織物設計書に基づいて経糸・緯糸の本数に合せた罫数の方眼紙。方眼の経・緯ひと筋ずつがそれぞれ経糸・緯糸の一本一本にあたる。

紋彫り(もんほり)

紋意匠図に基づいて、紋紙に穴を彫る作業。ジャカードはこの穴を読み取って、タテ糸の上げ下げを指令する。

製糸(せいし)

繭1個から1本ずつの糸を取り出し、これを数本を合せて撚りをかけて生糸を製造する。その生糸を必要な本数だけ束ね、回転を加えて捻じる工程を撚糸(ねんし)という。

糸染め(いとぞめ)

明度、彩度、濃度、色相など、指示された通りに調整しながら糸を染めていく。織物設計者は織り上がったときのタテ糸・ヨコ糸や組織等の織物構成を考えながら配色をする。化学染料、天然染料(植物)などの染料がある。精練(せいれん):糸染の前に生糸の表面についているセリシンというニカワ質の成分や汚れなどを石鹸や酵素の入った液で練り洗いし、取り除く作業。絹本来の美しい光沢のある白銀色と柔らかい風合いを引き出す。生糸そのままを使用することもある。

糸繰り(いとくり)

染色された「かせ状」の糸を色別に糸枠に巻き取る。その後、織物設計書に基づいて、織物に必要な枠数や本数を定め、経糸は整経に、緯糸は糸枠に巻いた後、緯管に巻く。

整経(せいけい)

織物設計書に基づいて、経糸を織物に必要な長さと幅(糸の本数)にそろえ、製経機で糸を整える作業。最後に千切(ちきり:経糸を巻く円筒)に巻く。

ジャカード

紋紙やフロッピーディスクのデータから経糸の上げ下げ情報を読み取り、これを綜絖に伝達して経糸を動かす装置。

綜絖(そうこう)

ジャカードの指令に基づいて、経糸を上下に開口させ、その間を杼が繰り出す緯糸が通れるようにする仕掛け。織機の心臓部にあたる。

金銀糸・金銀箔・模様箔(きんぎんし・きんぎんはく・もようばく)

箔は伝統的には和紙に金箔や銀箔を張り付け、極細に裁断し織り込む。金銀糸は芯になる糸に細かく裁断した金銀箔を巻いて糸状にしたもの。模様箔は銀箔を焼いて模様を付けたものや、ラッカーなどの着色塗料を使って箔原紙に直接模様を付けたもの。

製織(せいしょく)

織機には、動力を用いて織る力織機と、手足の力で操作する手織(てばた)がある。力織機は作業効率がよくコスト削減につながるが、色数が多く複雑で精緻な織物は、今日でも手機で丹念に織り上げるしかない。中でも高機は風合いが良く、芸術性に優れた織物を製作することのできる機である。織り手は織物に応じて機や経糸の張力などを調整し、紋意匠図を見ながら製織する。

杼(ひ)

経糸の間に緯糸を通すのに使われる本樫(ほんがしわ)製の道具を杼またはシャトルという。

筬(おさ)

機を織る際に、経糸の配列を整え、織幅を一定に保つことで糸がばらついたり絡んだりしないようにするための櫛状の道具。

紋紙(もんがみ)

完成した紋意匠図に従って、経糸の上げ下げの情報を穴をあけてあらわした短冊状のボール紙。